転生前夜・それまでのいきさつ


火事の場面


「おい、なに見てるんだよ! 危ない、下がれって!」

 焦ったような怒鳴り声が聞こえる。
 早口でまくし立てている。
 それをかき消すように、大きな音をたてて建物が崩れ落ちた。
 その場から逃げ出す人影たち。
 悲鳴や叫び声も聞こえている。

 夕食時の住宅街。
 普段なら、静かなはずの場所だ。

 太陽は沈んでいる時間。
 いつもなら、辺りは暗くなっている。

 住宅からこぼれる明かりだけが、頼りなく道路を照らす。
 どこからか、食事の匂いが漂う。
 あれはホッケ?
 ほかには……何のにおいだろう。
 においにつられて、道行く者の足どりが速まる。
 そうしてはじめて、自分が空腹だということに気づく。
 もうすぐ家に帰り着く。
 そんなことで頭がいっぱいになる。
 自宅へたどり着く直前の、ただの通過点。
 ここは、それだけの場所のはずだった。

 だが、この日は違った。
 空が赤く染まっていた。
 火事だ。
 一軒の民家が、炎に包まれているのだった。
 炎は、建物全体にまで広がっている。
 騒ぎに気づいて集まった人々が、遠巻きに周囲を取り囲んでいる。
 立ちすくしている。

 炎は建物を焼き尽くし、さらに燃え広がろうとしていた。
 それが、空を赤く照らしていた。
 もくもくと立ち上がる煙と熱気。
 そして、夜の闇を埋め尽くそうとする勢いの炎。
 あたりは異様な雰囲気に包まれていた。

 集まった人々は、何をすることもできない。
 あまりの炎の勢いに、ただ、見ているしかなかった。 

「これはひどいな。全然消えそうにない」
「ああ、このまま全焼だな……」
「消防車はまだかよ。この家だけじゃあ済まなくなるかもしれないぞ。いや、もう燃え移ってないか?」

 人々が口にする言葉は、どこか他人事だ。
 野次馬気分で見物しているものさえ、いるのかもしれない。
 そのあいだにも、建物は焼け落ちていく。

「なあ、いま、子供の声が聞こえなかったか」

 誰かがつぶやく。
 居合わせた人々は、「嘘だろ」という思いで顔を見合わせた。
 その一瞬の沈黙のすき間――声が、たしかに聞こえてきた。
 振り絞るような、子供の叫び声だった。

「……たす……け……」
「女の子だ! まだ家のなかに人がいるぞ! 生きてる!」
「くる……し……」
「ど、どうする」
「どうするって言ったって……」

 炎の勢いが収まる気配はない。
 近づくことすらままならない。
「どうしようもない」という言葉を口には出さずに、しかし誰もがそう考えていた。

走り出す少女


 そのとき、人々のあいだをすり抜けていくものがいた。
 大人たちよりもひとまわり背の低い、細い影。
 少女だ。
 髪の長い少女が、燃える建物に向かって走っていく。
 全力で髪をなびかせ、スピードを上げて炎へ向かう。

「おい! 何してるんだ! 馬鹿!」

 自殺行為。
 この炎の中に飛び込むという行動は、それ以外に言いようがない。
 だが、少女を止められるものは、誰もいなかった。
 気がついたときには、建物に飛び込んでいたからだ。
 追いかけて止めるということもできない。
 少女はもう炎の中だ。
 皆、命が惜しい。
 自分の命を賭けてまで、無謀な行動をした少女をつれ戻すなどということはしない。
 見つめるだけだ。

 いったいどうなってしまうのだろう。
 建物の中に取り残された子供。
 走っていった少女。
 ふたりとも、このまま死んでしまうのだろうか。
 人々が、息を呑んで見守る。

 すこしして、少女が飛び出してきた。
 建物の玄関があった辺りに、パタリと倒れこむ。
 腕には小さな女の子が抱えられていた。
 小学校に入学するくらいの年だろうか。
 体中が煤けて、黒く汚れている。
 ふたりとも動かない。 

「ゲホッ、ゲホッ」

 小さな女の子が咳をした。
 はじかれたように、数名が、少女達のもとへ駆け寄る。
 多くの人々は、唖然として見つめるばかりだ。

「おい、生きてる! 救急車! この子と」
「……あの、おねえ……ちゃんが……」
「わかってる! しゃべるな! 急げ! はやく!」

 そのとき悲鳴が上がった。
 建物の壁がゆっくりと倒れてきている。
 かなり分厚い壁だ。
「逃げろ!」という声で、玄関前に集まっていた数名も状況を把握した。
 助け出された小さな女の子を抱えて、駆け出していく。
 だが、長い髪の少女は、その場に倒れたままだった。
 少女を起こし、抱えあげて、走り去る。
 そんな余裕があるものは、ひとりもいなかった。

 髪の長い少女が、ムクリと顔を上げた。
 正確には、髪の長かった少女だ。
 炎に焼かれて、髪型が変わってしまっている。
 やけども負っているようだ。
 皮膚が遠目からでもわかるほどに、黒ずんでいる。
 抱えられ、遠ざかる小さな女の子と、視線が合った。
 
 地面に倒れ、取り残された少女。
 そこにのしかかるように倒れてくる壁。
 一瞬先の未来が、容易に想像できる。
 巨大な塊が、少女に迫っている。

 それを見た小さな女の子の目に、絶望の色が宿った。
 やけどのせいではなく、からだが震える。
 反対に、少女のほうは何の表情も浮かべていなかった。
 無表情のまま、「助かってよかったね」というようにコクコクとうなずいていた。

 ――グシャリ。
スポンサーリンク

投稿サイト

小説家になろうに、猫のエッセイを投稿しています。
かわいいです。
うちのかわいいかわいい猫
このブログでも、一部を掲載しています。

アルファポリスでは、ファンタジーの連載を初めてみました。
気軽に読んでみてください。

ランキング

スポンサーリンク